現在のねぶたは台車に乗せて運行していますが、昔のねぶたは人が担ぐ「担ぎねぶた」でした。
明治初期〜中期にかけては20mくらいもある現在では考えられない高さの「担ぎねぶた」を100人くらいで担いで運行したそうです。
この頃はどんなに大きなねぶたであっても担いで運行していました。 もちろん小さい担ぎねぶたで「一人担ぎ,四人担ぎ」もありました。
「一人担ぎ」は中心に心棒が突き通ってあり、その心棒には肩当てを付けてこれを一人で担ぎます。四隅には竹の棒を取り付け、4人が支える担ぎねぶたでした。
「四人担ぎ」は高欄の最下部に丸太を渡し担いでいました。下ろす時は倒れないように、脚が付いていたそうです。
骨組みに使用していたのは昔は「竹」で、現在使用している針金よりも重かったため、体力に自信がある担ぎ手でなければならなかったそうです。
昭和初期には、一人担ぎねぶたが多く、特に子供や商店単独のねぶたでした。 大型担ぎねぶたは少なくなり、逆に台車にのせたねぶたが多くなってきました。 台車といっても、タイヤではなく木製の車だったそうです。
戦後になると担ぎねぶた自体が少なくなっていきました。 また照明も現在は発電機にて電球などを使用していますが、昔はロウソクを使用していました。
ロウソクから電球になるとさらに重くなり、発電機が当時ない頃はバッテリーも積まなければならないので、台車が必ず必要となり現在はすべて台車に乗せたねぶたになっています。
担ぎねぶたは一旦現代から消えましたが、明治初期頃からある伝統な担ぎねぶた、市民が携ってきた担ぎねぶた、あちらこちらの町内で運行してきた担ぎねぶたを無くしてはいけないという想いから担ぎねぶたを復活させました。 |